埼玉県北で児玉党と金鑚神社の歴史を歩く−11分社と由来

児玉党は武蔵七党中で最大の武士集団で、平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて割拠した。武蔵国児玉郡を本拠地として、入西、秩父、上野国まで拠点を置いた。 武蔵国北部の神流川扇状地に、九郷用水開削され、その要所には、児玉党の士族の館跡と金鑚神社の分社が祀られている。これらの所在地は児玉党の勢力範囲と一致していると思われる。児玉党の各士族は、金鑚神社を守護神として崇拝していたと云われている。

児玉党一族は児玉地域の本領に住み、後に鎌倉街道と呼ばれる道路を馬に乗って鎌倉幕府へ出仕して番役という勤めを果たした。児玉の地には鎌倉街道の上道と呼ばれる本道が通り、さらに本道から幾筋もの支道 (枝分かれ)が児玉地域各地に伸びていた。江戸時代の中期の児玉地域の村絵図には長沖付近の道筋に「鎌倉街道」と記されたものが残っている。「いざ、鎌倉へ」の路がある。

頼朝に属した児玉党一族は、源範頼と義経らに従い平家との戦いに活躍した。木曽義仲と戦った宇治川の合戦では塩谷一族は親子孫の 代にわたって参戦し、高齢の塩谷民部大夫家経は荒れ狂う宇治川の濁流に呑まれ流死する。 平家と戦いで庄四郎高家は平重衡を生け捕りにし、さらに児玉党の一軍は平知盛の子平武蔵守知章と監物主従を討ち取った。 児玉党一族は平家との戦いで得た恩賞や承久3年(1221年) に起きた承久の乱での戦功により多くの所領を獲得し、新たに得た西国や東北地方の所領に、一族の者を代官として派遣した。

貞観4年(862) 武蔵国金佐奈神は官社に列せられる。保元元年(1156)保元の乱、児玉党の庄太郎、庄次郎が源義朝軍に従う。(保元物語) 治承4年(1180)児玉党は畠山重忠に従い相模国衣笠城の三浦義明を攻める。
寿永3年(1184)児玉党、真下基行は真下(下真下)に金佐奈神社を勧請する。建久元年(1190)源頼朝上洛時随兵、阿佐美太郎実高、庄太郎家長、四方田三郎弘長、外十数名。 建保元年(1213)富田三郎親家の名が吾妻鏡7月11日にみえる。
暦仁元年(1238)将軍頼経の随兵で四方田五郎左衛門資綱がいる。 仁治2年(1241)阿佐美右衛門尉実高が1月没(武蔵七党系図)。
明徳元年(1390)児玉党、東京都四谷の黒田太久馬文書に¬明徳元年十二月二十日、藤原泰次は、武蔵国児玉郡下児玉郷内浅羽方田一町七段・泰次重代相伝私領也を徳蔵寺長老大勲和尚に寄進す、円覚寺伝宗庵主殿」と。

蛭川郷の金鑚神社
児玉郡蛭川郷字東廓に蛭河氏の館跡があったと考えられている。地籍図を見ると館を囲む堀跡が道路となっていて、現在では、廊内の中央を児玉新道(国道462号)が通っています。また、館跡の北東、女堀川の自然堤防の上北東側の字金鑚林に、金鑚神社がその昔にあったが現在では駒形神社に明治40年から合祀されている。
蛭河氏から今井氏が出ているので今井の金鑚神社以前のことと考えられる。
(※ 参考文献 保元物語、吾妻鏡、児玉党、本庄市通史、武蔵武士、武蔵七党系図、本庄市の地名)

     
児玉郡市の金鑚神社一覧  (11分社)    
 No 神社名  所在地  祭神  由来・歴史・祈願 
 1 金鑚神社 神川町二ノ宮751 天照大神 素戔嗚尊
 日本武尊
伝えによると日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮にて倭姫命より
賜った火打石を御室ヶ嶽(御嶽山)に鎮め、天照大神と素盞嗚尊を
祀ったことから始まったと言う。創建は景行天皇年間(71〜130)
 2 金鑚神社 本庄市千代田3-2-3 天照大神 素戔嗚尊
 日本武尊
社伝によれば欽明天皇2年(541)の創立。また本庄城主歴代の
崇信が厚く中山道本庄宿の総鎮守でもある。
社殿は極彩色の彫刻が美しい。1724年〜再建されている。   
 3 金鑚神社 本庄市栗崎152 天照大神 素戔嗚尊
 日本武尊
社伝によると、児玉党一族の、庄太郎家長により奉祭された。
当地は庄氏の本貫地で、宥勝寺には一の谷合戦で戦死した
庄小太郎頼家の墓がある。雨乞いの神様。児玉党の守護神。
創建不詳(平安時代末期)
 4 金鑚神社 本庄市今井1124-1 素戔嗚尊 社伝によれば、寿永年間(1182〜85)に、今井太郎兵衛行助が
当地に在住した際、その砦の乾(北西)の方に勧請したもの。
児玉党の守護神。
 5 金佐奈神社 本庄市四方田288-1 天照大神 素戔嗚尊
木乃花咲耶媛
四方田五郎左衛門資綱の勧請 五穀豊穣、商売繁盛
創建は鎌倉時代
 6 金鑚神社 本庄市栄3-5 素戔嗚尊 富田三郎親家の勧請(児玉家行の三男で、源実朝の頃)
創建は鎌倉時代
 7 金鑚神社 本庄市児玉町河内25 天照大神 素戔嗚尊
 日本武尊
木村次郎五郎が1571年再建
 8 金鑚神社 本庄市児玉町入浅見899 素戔嗚尊
阿佐美右衛門尉実高の勧請
 創建は鎌倉時代(1200年代)
 9 金佐奈神社 本庄市児玉町下真下149 天照大神 素戔嗚尊
 日本武尊
真下太郎基行の勧請(1184)
 10 金鑚神社 本庄市児玉町上真下186 天照大神 素戔嗚尊
 日本武尊
由緒では、元は下真下と一村であったが、天正年間(1573〜92)
の頃、分村され、時期は明らかではないが、金佐奈神社から
分かれた社とある。
 11 金鑚神社 美里町下児玉322 天照大神 素戔嗚尊
 日本武尊
由緒では室町時代以前の創建とある。
 12 金鑚神社 本庄市児玉町蛭川
字金鑚林
明治40年から駒形神社(蛭川)に合祀された。現存しない。

児玉党と金鑚神社(児玉郡市)の位置−グーグルマップ

明治時代の下真下地区

明治時代の下真下村図

栄(西富田)金鑚神社

栄(西富田) 金鑚神社

    出典:農研機構(https://finds.jp/)                     旧西富田は本庄市栄

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