むかしばなし
姫塚(ひめづか)
神川町 植竹
植竹を西から東に流れる九郷用水にそって、村はずれまでくると、大きな塚がポツンとあります。この塚には、おさなくして世を去ったお姫さまにまつわる話が伝えられています。今からおよそ五百年ほどの昔、児玉村に近い八幡山町に、りっぱなお城ができあがり、夏目豊後守定基という山内上杉氏の家来が住んでいました。
しかし、永禄年間(約四百年前)になると、一族は小田原の北条氏に攻めたてられるようになり、上野(群馬)に引きあげようとしていました。けれども、あいにくと病弱な、おさないお姫さまがおりましたので、一族はそのことが気がかりでなりませんでした。
そうこうしているうちに、敵の大軍が近づいてきます。一族はしかたなく、ある暗い晩に、おさない姫をつれて城をぬけ出し、藤岡の方へと落ちていきました。暗い夜道を、人目をさけながら進んでいきましたが、ある川のほとりの林まで来たところで、おさない姫はついに息を引きとってしまいました。
一族は悲しみながらも近くにあった小高い古塚に姫を葬ることにしました。住みなれた八幡山町がながめられるように、塚の東南にあたる場所に葬り、墓をつくると、一族は上野を目ざして、落ちて行ったそうです。はかなくこの世を去った姫を悼む(死んだ人をおしみあわれむ)かのように、村人たちはこの古塚を姫塚とよんでいます。
(神川村広報「かみかわ」より)