児玉 雉岡城周辺年表
児玉 雉岡城-武蔵八幡山城 周辺・中世北武蔵の年表
武蔵国の雉岡城は北武蔵(北西部)で武蔵八幡山城とも呼ばれた。中世の室町時代後期から安土桃山時代までの、戦国時代に雉岡城が築城され、御嶽城、本庄城も築城された。勢力の拡大のため、戦場も五十子の戦い、生野山合戦、神流川合戦など有り、安保氏、上杉氏、北条氏や武田信玄、上杉謙信までもが登場する。その度に城の落城もあり、城主も変わる中で、農民を気遣う、前田利家の久米氏宛文書があった。徳川家康の関東入りで城主の決まった八幡山城も本庄城も数十年で廃城となり、城跡となった。
西暦 | 年 号 | 主な出来事 |
---|---|---|
1455 | 享徳27年 | 安保氏泰が塩谷郷の塩谷源四郎跡を領有する |
1460~1466 | 寛政年間 | 雉岡城築城 夏目実基(上杉顕定の家臣) |
1467 | 応仁元年 | 雉岡城主に夏目定基がなる |
1477 | 文明9年 | 五十子の戦い(長尾景春×上杉顕定 ) |
1480 | 文明12年 | 御嶽城築城 (安保氏) |
1491 | 延徳3年 | 夏目定基が児玉八幡神社に社領を寄進 |
1492 | 明応元年 | 夏目定基没 二代目城主に夏目定盛 |
1534 | 天文3年 | 安保全隆(泰広)多宝塔を金鑚神社に寄進 |
1546 | 天文15年 | 河越夜戦で北条氏康が上杉・足利連合に勝利 |
1552 | 天文21年 | 北条氏康が御嶽城を攻め落とす |
1556 | 弘治2年 | 本庄城築城 本庄実忠 |
1561 | 永禄4年 | 生野山合戦 越後上杉戦で上杉謙信に北条氏康が勝利 |
1567 | 永禄10年 | 雉岡城は北条氏により落城 |
1569 | 永禄12年 | 武田信玄が御嶽城を乗っ取る |
1570 | 永禄13年 | 長井正実が御嶽城に入る(武田の家臣) |
1574 | 天正2年 | 上杉謙信 本庄に陣を取る |
1582 | 天正10年 | 神流川合戦 滝川一益×北条氏邦・氏直で北条氏の勝利 |
1590 | 天正18年 | 雉岡城落城 上杉景勝が生野山に陣 159前田利家が久米氏に文書 |
1590 | 天正18年 | 鉢形城も開城 八幡山城主(雉岡城主)に松平清宗(1万石) |
1590 | 天正18年 | 本庄城落城 武蔵本庄城主に小笠原信嶺(1万石) |
1591 | 天正19年 | 那賀郡小平村の成身院に徳川家より寺領10石の御朱印発給 |
1601 | 慶長6年 | 八幡山城廃城 松平家清は3万石で三河国吉田に転封 |
1602 | 慶長7年 | 八幡山・児玉は旗本戸田重元の知行で陣屋を置く |
1612 | 慶長17年 | 本庄城廃城 小笠原信之は古河城に転封 |
参考資料 「新編武蔵風土記稿」「新編埼玉県史 中世2」「児玉町史 中世資料編」


雉岡城(1466~1601) 金鑚 御嶽城(みたけじょう)(1480~1590)


本庄城(1556~1612) 神流川合戦記念碑は新町宿側