小笠原信嶺-周辺大名

小笠原信嶺-本庄城・周辺大名(知行割)・徳川家康-関東入部

天正18年(1590)7月、徳川家康は豊臣秀吉から関東移封(6国)を命じられ、翌8月、三河の国から 江戸城に入る。榊原康政(総奉行)に家臣団配置と、知行割を行わせる。小笠原信嶺、2人の菅沼氏、 徳川氏直系の松平氏を、武蔵国、上野国など近くに配置した。

本庄城周辺大名(知行割) 天正18年
国・藩 城名 大名 年代・石高
武蔵本庄 本庄城 小笠原信嶺 1590~1598 1万石
武蔵八幡山 雉岡城 松平家清 1590~1600 1万石
武蔵阿保 鍛冶屋敷 菅沼新八郎定盈 1590~1601 1万石
武蔵深谷 深谷城 松平源七郎康直 1590~1593 1万石
上野藤岡 芦田城 依田康勝 1590~1600 3万石
上野吉井 陣屋 菅沼定利 1590~1602 2万石
上野那波 那波城 松平家乗 1590~1601 1万石

参考資料 「新編武蔵風土記稿」「新編埼玉県史 中世2」「児玉町史」「伊勢崎市史」「本庄市史」「神川町誌」「上里町史」「深谷市史」「上野志料集成」「藤岡市史」

小笠原信嶺(おがさわら のぶみね)

天文16年(1547)~慶長3年(1598)信濃国松尾小笠原氏、本庄藩主、 譜代大名。官位名、掃部太夫。武田信玄、織田信長、徳川家康に仕える。 本庄城を築城(久城堀西)本庄宿に開善寺を開基、建立した。 墓所も開善寺にある。二代目は小笠原信之(養子)。

松平家清(まつだいら いえきよ)

永禄9年(1566)~慶長15年(1611) 三河国竹谷松平氏6代目、 八幡山藩主、譜代大名。 別名、奥次郎、玄蕃頭、徳川家康に仕える。 家清は城外多く、藩政は清宗(父親)が行っていた。関ケ原の戦いで功績を認められ、三河吉田に3万石で転封となる。 清宗は三河吉田で慶長5年に没する。

菅沼定盈(すがぬま さだみつ)

天文11年(1542)~慶長9年(1604)三河国、野田菅沼氏3代目、 武蔵阿保藩主。別名、新八郎、織部正。今川義元、徳川家康に仕え、野田城では、武田信玄と戦う。阿保(安保)藩の元阿保(現神川町)の茂木賢家文書「文化十一年村鑑明細帳」詳細有。天正十八年吉祥院(三ケ年)より鍛冶屋敷(元安保村)と有り。次男、定仍が家督を継ぐ。定仍、伊勢長島へ転封(2万石)し、定盈は慶長9年没、墓所は新城市、泉龍院。

松平康直(まつだいら やすなお)

永禄12年(1569)~文禄2年(1593) 三河国、長沢松平氏9代目、 武蔵深谷藩主。譜代大名。別名、源七郎 徳川家康の妹、矢田姫の子。 松平康直は三高院(本住町)を開基、建立した。康直は文禄2年に24才の若さで病没、墓所も三高院にある。

依田康勝(よだ やすかつ)

天正2年(1574)~元和9年(1623) 信濃国、依田氏、藤岡藩主、芦田城(藤岡城)築城。別名、松平新六郎康真、右衛門大夫、依田信蕃次男。築城当初は浄法寺に仮住、完成途中の入城。慶長5年(1600)に小栗三助事件で改易。謹慎、浪人の後、結城秀康(家康次男)の家臣となり、加藤康寛と改名した。

菅沼定利(すがぬま さだとし)

生誕、不詳~慶長7年(1602) 三河国、田峯菅沼氏 別名、小大善、 上野吉井藩主。徳川家康に仕える。天正12年(1584)から信濃国伊奈郡で活躍する。吉井藩は城はなく、藩政は陣屋で行われた。 慶長2年(1597)に菅沼(奥平)忠政を養子にする。 慶長5年(1600)に玄太寺建立。慶長7年没、墓所も玄太寺にある。

松平家乗(まつだいら いえのり)

天正3年(1575)~慶長19年(1614) 三河国、大給松平氏6代目、 上野那波藩主。譜代大名 別名、源次郎、和泉守。 那波城は伊勢崎市堀口町、名和幼稚園南側に「那波城址碑」だけが残る。 慶長6年(1601)、家乗は2万石で美濃岩村藩に転封となる。

参考資料 「寛政重修諸家譜」

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