児玉郡市 神社

廣野大神社 神川町肥土

神川町肥土 廣野大神社

肥土 廣野大神社の由緒
名称 廣野大神社(ひろのだいじんじゃ)
祭神 天穂日命(あめのほひのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、誉田別命(ほむたわけのみこと)
所在地 埼玉県児玉郡神川町肥土380
建立年 永禄年間(1558~70)
格式 旧郷社
由来 当社の鎮守する肥土の地は、武蔵、上野の国境となっている神流川の流れが変わったために、元禄十四年(1701)から武蔵国に属するようになった。上野国に属していた時は、緑野郡土師郷の内であった。当社の社宝として、上野国司が作成した国帳で永仁六年(1298)に改写された「上野国神名帳」一巻が蔵されている。これに載る 緑野郡十七座の内「従三位廣野明神」が当社に比定されている。その創建については諸説あり、「児玉郡誌」には「淳仁天皇の御宇、天平宝字三年(759)上野国司の創立なりと云う」と記すが、「明細帳」には「一条天皇御字正暦五甲午年(994)創立」とある。当社の社号は、「上野国神名帳」にあるように、「廣野明神」と記され、神流川の自然堤防上の当地と、周囲に広がる氾濫原の風景から付けられた社号である。しかし、当社は化政期(1804~30)には「風土記稿」に見られる「八幡天神駒形明神合社」と号し、更に「郡村誌」には「神流川神社」と記載されている。社殿の背後に「奥宮」と呼ばれる神流川神社(祭神天穂日命)を祀ることを考え合わせると、三間社の本殿は八幡天神駒形明神合社として造営し、廣野明神を奥宮とした経緯が考えられる。それが、明治三十九年の郷社昇格に際し、神名帳に載る社号に戻したものと思われる。
例祭日 3月19日
祈願 五穀豊穣、厄除開運
指定

肥土 廣野大神社の鳥居 肥土 廣野大神社の社殿

肥土 廣野大神社の鳥居と神楽殿

Top