本庄かるた・石碑-あ~お 四季と歴史
本庄かるた-あ

本庄かるた-あ

本庄はかつて養蚕が盛んでしたが、最近では都市近郊型農業になり、野菜の生産量が増えてきました。昭和五十二、三年ごろからは、天候に左右されず、安定した収入が得られるビニールハウス栽培がブームに。林立したビニールハウスが朝もやの中に浮かぶ姿は、幻想的にすら思えます。(本庄かるたより)

本庄かるた-あ 読み札

本庄かるた-あ 読み札

朝もやに 浮かぶハウスの 近郊農家

本庄かるた碑-あ

本庄かるた碑-あ

本庄妻沼線で備前堀先の滝瀬地区にあり。

本庄かるた-い

本庄かるた-い

江戸時代、五街道の一つ中山道(京都から近江へ出て、草津で東海道と分かれ、県内九つの宿場を経て板橋から日本橋に達する幹線道路)の宿場町だった本庄。天保十四年(1843)には総戸数1212軒、人口4554人に達し、参勤交代をする大名行列や幕府役人、一般人の湯治・商用旅行者で中山道六十九次最大の宿場町としてにぎわいました。

本庄かるた-い 読み札

本庄かるた-い 読み札

今は昔 中山道の 宿場町

本庄かるた碑-い

本庄かるた碑-い

本庄商業銀行煉瓦倉庫入口にあり。

本庄かるた-う

本庄かるた-う

金鑚神社の例大祭の附祭として明治の中ごろから曳き回されていた各町内自慢の九台の山車。現在では北関東随一といわれ、市民総ぐるみの「本庄まつり」として、毎年十一月二日、三日に盛大に行われています。ご婦人の民謡流しや少年少女の武者行列、それと山車の巡行にともなって打ち鳴らされる、お囃子の音で、この日ばかりは市内が祭り一色に染まります(本庄八景の一景)。

本庄かるた-う 読み札

本庄かるた-う 読み札

打ち揃う 山車に囃子の 本庄まつり

本庄かるた碑-う

本庄かるた碑-う

はにぽんプラザの広場にあり。

本庄かるた-え

本庄かるた-え

円心寺の山門は、天明年間(1781~1788)に建立されたもので、木造二階建て瓦ぶき。木割を縦横に駆使するなど、構造的にも最も発達した天明建築の特徴を随所に現しています。総体的に安定した美観を誇る由緒ある山門で、古くから「赤門」の名で地元の人達に親しまれ、参拝の対象になっています。(市指定文化財)。

本庄かるた-え 読み札

本庄かるた-え 読み札

円心寺 赤い山門 そびえ立つ

本庄かるた碑-え

本庄かるた碑-え

円心寺境内にあり

本庄かるた-お

本庄かるた-お

板石塔婆は板碑あるいは青石塔婆などと称される卒塔婆で、緑泥変岩で作られる場合が多い供養塔です。市指定文化財となっている西五十子の板石塔婆は、康元二年(1257)に父の供養のために造立されたもので、文政八年(1825)以降は二十二夜塔として地元の人に信仰されています。

本庄かるた-お 読み札

本庄かるた-お 読み札

親と子の きずな伝える 板石塔婆

本庄かるた碑-お

本庄かるた碑-お

西五十子の板碑前にあり



➡本庄かるた・石碑-か~こ

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