本庄かるた・石碑-か~こ 四季と歴史
本庄かるた-か

本庄かるた-か

天正十八年(1590)本庄城主となり、本庄領一万石を領した小笠原掃部大夫信嶺は慶長三年(1598)、五十二才のときに江戸の館で逝去。自身が天正十九年(1591)に開基した開善寺に葬られました。信嶺夫妻の墓は昭和三十三年に市の文化財として指定されました。(本庄かるたより)

本庄かるた-か 読み札

本庄かるた-か 読み札

開善寺 本庄城主の 墓ここに

本庄かるた碑-か

本庄かるた碑-か

開善寺境内にあり

本庄かるた-き

本庄かるた-き

本庄は明治以降「繭の町」「生糸の町」として栄え、昭和八年には大きな製糸工場が十三社もありました。まゆ人形は、本庄が、まゆの集散地としてにぎわった明治から昭和初期にかけて郷土の特産民芸品として作られていたもので、戦後復活し、再び市民の手で作られるようになりました。まゆの素朴な持ち味を生かした郷土の民芸品として人気を呼んでいます。

本庄かるた-き 読み札

本庄かるた-き 読み札

生糸の町 昔をしのぶ 繭人形

本庄かるた碑-き

本庄かるた碑-き

本庄郵便局近くにあり

本庄かるた-く

本庄かるた-く

本庄の中世を語るうえで忘れてはならない遺跡が「五十子陣跡」。文献資料によれば、足利成氏と上杉氏が何度も合戦をした場所で、交通の要所として、また両勢力の接点となっていました。これらの記録は群書類従に収められている「鎌倉大草紙」「松陰私語」などにもみられます。

本庄かるた-く 読み札

本庄かるた-く 読み札

桑茂る 五十子合戦 古戦場

本庄かるた碑-く

本庄かるた碑-く

国道17号沿い、天狗茶屋付近にあり

本庄かるた-け

本庄かるた-け

城山稲荷神社のケヤキは、弘治二年(1556)本庄宮内少輔実忠が本庄城築城のとき献木したと伝えられています。根回り13.3m、目通り6.5m、高さ約30mで各所に枝瘤がある雄大なもの。神社の社殿正面にあり、この一本で社叢を形成しているかのような感がするみごとなものです。昭和四十四年に県の天然記念物に指定されました。(城山稲荷神社は本庄新八景の一景)

本庄かるた-け 読み札

本庄かるた-け 読み札

ケヤキの木 歴史を語る 城山稲荷

本庄かるた碑-け

本庄かるた碑-け

城山稲荷神社の鳥居近くにあり

本庄かるた-こ

本庄かるた-こ

歴史民俗資料館の前にある田村本陣の門は寛永年間(1624~1644)にできたもので、本庄宿の北本陣と呼ばれていました。本陣というのは、大名・幕府役人・勅使などが宿泊した施設です。行列のその数八千人を従えた皇女和宮がご降嫁の際、本庄宿の田村本陣に宿泊したのは文久元年(1861)十一月十一日のことでした。(本庄新八景の一景)

本庄かるた-こ 読み札

本庄かるた-こ 読み札

皇女和宮 涙をさそう 田村門

本庄かるた碑-こ

本庄かるた碑-こ

歴史民俗資料館入口にあり



➡本庄かるた・石碑-さ~そ

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