本庄かるた・石碑-さ~そ 四季と歴史
本庄かるた-さ

本庄かるた-さ

「安産の神様」として有名な四方田の金佐奈神社(産泰神社を合祀しているので、一般には「産泰様」と呼ばれることが多い)春の例祭には、妊婦の方たちが「底ぬけびしゃく」を奉納して安産を願う姿が目立ち、近郊近在からの参拝客で終日にぎわいます。また、この日は市の民俗文化財に指定されている、お神楽も奉納され、祭りに花を添えます。(本庄かるたより)

本庄かるた-さ 読み札

本庄かるた-さ 読み札

産泰様 底ぬけびしゃくで 願う安産

本庄かるた碑-さ

本庄かるた碑-さ

四方田の金佐奈神社(産泰神社)の境内にあり

本庄かるた-し

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荘小太郎頼家は、児玉党の嫡流・庄太郎家長の子で、一の谷の合戦で平家と戦い、元暦元年(1184)に戦死しました。大久保山の中腹にある宥勝寺は、頼家の死後その夫人である妙清禅尼が夫の冥福を祈るため、建仁二年(1202)に建立したとつたえられ、この寺にある五輪塔でできた頼家の墓は、県指定文化財となっています。(宥勝寺は大久保山の自然とともに本庄新八景の一景)

本庄かるた-し 読み札

本庄かるた-し 読み札

荘小太郎 静かにねむる 宥勝寺

本庄かるた碑-し

本庄かるた碑-し

大久保山の宥勝寺境内にあり

本庄かるた-す

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石仏十一面観音坐像は、西五十子の不動寺観音堂の本尊で、文明元年(1469)の銘文が刻まれ、願主は五十子合戦の様子を「松陰私語」としてまとめた松陰西堂(道徳)となっています。銘文のある数少ない石仏のひとつで、県内でも最古の部類に入るものであるばかりでなく、彫り方もとても端麗で、たいへん慈悲深いお姿をされています。

本庄かるた-す 読み札

本庄かるた-す 読み札

すがる身に 慈悲の手のべる 十一面観音

本庄かるた碑-す

本庄かるた碑-す

西五十子の自治会館近くの観音堂にあり

本庄かるた-せ

本庄かるた-せ

関東平野のつきる本庄辺りは、三方に山々が迫り、北の赤城山と西の浅間山がその雄姿を競っています。日没の頃、真っ赤な夕日をバックにした浅間の遠景は、また一段とみごとで言葉では言い表せないほどです。しかし、この浅間山も江戸時代の天明三年(1783)の大爆発では、当時の本庄宿にも大きな被害を与え、十五センチもの灰が積もったということです。

本庄かるた-せ 読み札

本庄かるた-せ 読み札

絶景は 夕日を背負う 浅間山

本庄かるた碑-せ

本庄かるた碑-せ

本庄市内の前原二丁目信号西の埼玉セレモニー内にあり

本庄かるた-そ

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お神迎えは、本庄領(中世期末の本庄領地)総鎮守の金鑚神社で神無月の終る、旧暦十一月一日の早朝に行われる神事です。出雲の大社に集まっていた八百万の神々が、それぞれの神社に帰ってくるのを迎えるわけで、縁起物として大福もちや熊手を買い求める人も集まり、大変なにぎわいを見せます。(金鑚神社は本庄新八景の一景)

本庄かるた-そ 読み札

本庄かるた-そ 読み札

総鎮守 金鑚神社の 神迎え

本庄かるた碑-そ

本庄かるた碑-そ

中山道沿いの金鑚神社の境内にあり



➡本庄かるた・石碑-た~と

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