中山道

中山道「本庄宿」は「滝岡橋」から始まりです

国道17号バイパスを深谷から本庄方面に向かって、「道の駅おかべ」を過ぎ、岡(西)の信号を右折すると中山道で、300m程先に、小山川に架かる「滝岡橋」が見えてくる。ここからが本庄宿への始まりです。

滝岡橋~本庄宿 見て歩き Googleマップ

滝岡橋を渡り、すぐ川沿いを左折する。昔は小山川の渡場は少し上流にあったらしい。堀田から藤田に入ると信号があり、右側が藤田小学校で、左側に馬頭観音がある。

信号を過ぎるとすぐ左側に牧西の八幡大神社がある。児玉党の牧西四郎広末が、鎌倉鶴岡八幡宮を奉還して祀ったという。

牧西の町並みを過ぎて、藤田保育所、手前カーブ右側に賽神石碑と子育て地蔵がある。

傍示堂地区で左に急カーブする右奥に集落センターがあり、その敷地内に傍示堂というお堂がある。江戸時代はここから北西に向かう五料街道への分岐点でもあった。(玉村五料~前橋・沼田)

少し進むと元小山川の新泉橋を渡る。右に折れると国道17号線を渡ると本庄宿に入る。

直進すると長い御堂坂の途中左側に庚申塔がある。本庄市内の中山道は県道392号ともいわれている。

坂を登りきると中山道交差点がある。左には広い十間道路があり寄居街道へ進む。

この交差点を直進すると下り坂になり途中、左側の石材店脇の参道を入ると大正院がある。この坂は不動坂と呼ばれ、少し下ると「久城堀」の水路がある。

久城堀は本庄城につながる。北側には円心寺もある。この写真は本庄宿中心(駅入り口信号付近)で、田村本陣も近くにあった。

永禄三年(1560年)創業の戸谷八商店を過ぎると、T字路手前左側に本庄仲町郵便局がある。この建物は秩父セメント創業者、「諸井恒平」が建てたそうで裏には諸井家住宅もある。

伊勢崎新道T字路、中央三丁目交差点から中山道を少し西に向かって行くと、左側にレンガ造りの大きな建物がある。旧本庄商業銀行煉瓦倉庫で、明治時代に繭市場が盛んな頃、まゆの担保倉庫として明治29年(1896)に建てられたもの。

中山道をさらに西へ進むと、右側に、「金鑚神社」がある。社伝によると歴史は古く、欽明天皇2年(541)の創建で、児玉党の氏神で歴代城主の崇信も厚く、本庄宿の総鎮守となっている。

神社の少し西に千代田三丁目交差点がある。南北に国道462号が通る。この信号を右折して100m先の高尾歩道橋のところを左折する。350mほどすすむと新道に合流する。

合流した県道(中山道)を直進すると左側に本庄小島郵便局があり、小島四丁目交差点がある。右に少し行くと長松寺と唐鈴神社がある。

中山道をさらに進むと、万年寺から上里に入るとすぐ左奥に浅間山古墳があり、富士浅間神社が祀られている。

上里町を進み、神保原駅を左に見て商店街をさらに進むと、T字路の神保原一丁目交差点がある。左は神川児玉方面。ここを右折する。

右折してすぐに国道17号神保原北交差点がある。ここを渡ると中山道旧道の金久保地域に入る。

旧道を700mほど進むと、右側に金窪八幡神社がある。戦国時代に金窪城主の斎藤氏が城内に鎌倉八幡宮を勧請したのがはじまりと云う。

金上公会堂前を直進していくと左側に参道があり、陽雲寺がある。ここには武田信玄夫人で陽雲院の墓地がある。武田家関連の資料も残されている。

西に向かって賀美小学校も過ぎて、左側に高窓のある大きな家があり、その西側に勝場の一里塚跡があり、天王社もある。

一里塚跡からすぐ国道17号勅使河原北交差点にでる。国道を進むとすぐに神流川の橋がある。橋の手前に見透燈籠がある。江戸時代に戸谷半兵衛が建てた大きな見透燈籠は現在、地元の大光寺に保存されている。

「神流川の戦い」は、戦国時代に本能寺の変のあと、織田方の滝川一益と北条氏直・氏邦の戦い。神流川・賀美郡周辺での戦いは関東でも大きなものだったといわれる。最終的には北条軍の勝利。古戦場跡碑が神流川を渡り、左側で新町自衛隊手前にある。

この写真は、木曽街道六十九次 支蘇路の駅「本庄宿神流川渡場」著者 渓斎英泉-国会図書館蔵

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